こんにちは。ロミヨガの提唱者のTomoko Kehaulani Sugino です。
『ロミヨガ』は、ロミロミのヒーラーでもある私が20年以上のヨガの経験を元に、『ロミロミ』と『ヨガ』を融合させ、新たなヨガメソッドとして開発し提唱しています。
太古からのインドの智慧である経典(ヨーガ・スートラ)と、古代ハワイアンの癒やしの技術であるロミロミが深く融合したメソッドとなっています。
なぜ、インドとハワイが融合したのか・・・それについては少しだけ私のお話にお付き合いいただけたら嬉しいです。
錆びた釘が口から溢れ出るという夢を観る生活でした・・・。
29歳の時に起業し、日本へ駐在している海外の方へ日本語を教える会社を立ち上げました。
基本的には、マンツーマンのプライベートレッスンがメインの事業でしたが、ご縁に恵まれたこともあり、順調に会社は成長し徐々に軌道に乗ってきました。
しかし、軌道に乗ったら乗ったで、だんだんと怖くなりました。
その状態を存続するために、日々のレッスンだけでなく、社長としての責務や日々の営業、脇目も振らずに仕事をするという、仕事漬けの毎日となりました。
「少しでも休みを取ったら全てが止まってしまうのではないか」漠然とした恐怖から休みが取れずに毎日毎日走り続け、気がつけば、毎日の睡眠時間が3時間という生活が、2年間続いていました。
そんなある日、その短い睡眠の中で、「錆びた釘が口からあふれ出てくる夢」を観ました。
その夢を観た時に、とっくに心と身体が悲鳴を上げていたことに初めて気がつくことになります。もう、今何とかしないと自分が壊れてしまう、そう直感しました。
それからというもの、何をすべきか?を必死で探し始めました。そして、なんとか2週間休みをとり、とりあえず好きだったニューヨークへ単身で行くことにしました。
しかし、ニューヨークで何をするかは決めていません。漠然と、英語のスキルを上げるための英語学校に行くか、当時現地で流行っていたヨガでも習おうかな、そんなイメージを持っていたくらいです。
ニューヨークに着き、まだ何も予定を決めていなかったので、ホテルのコンシェルジュに「ヨガできるとこありますか?」と尋ねたところ「そこの角を曲がったところにあるよ」という返事があり、まずはヨガのレッスンをビジターとして受けてみることにしました。
初めてのヨガレッスンは、私に大きな衝撃を与えました。
身体がほぐれていくだけではなく、心からのリラックス、自分と向き合う感覚、そのあまりの爽快感が病みつきとなり、2週間の滞在中、1日2〜3クラス受けまくりました笑
レッスンを受ける度に、まるで細胞に水が戻っていくような感覚を覚え、徐々に生きる力が蘇ってきました。それまでの必死に働いていた気持ちが、深く救われた感じがしました。
帰国後、すっかりヨガ三昧の生活に。
ニューヨークで受けたヨガレッスンはアシュタンガヨガのレッスンでした。
すっかりヨガに魅了されていた私は、帰国後、同じ種類(アシュタンガヨガ)のスタジオ(IYC)に定期的に通うようになりました。
週に3〜4回通い、レッスン帰りの爽快感が日々に潤いをもたらしてくれました。
そうして、ヨガを習っていくうちに、乾いたスポンジに水をたっぷりと含ませるように自分の内側にヨガが浸透していきました。ヨガに関しては他のどんな習い事よりも自分の理解が早く、上達も早く、身体がスムーズに動くことに気付きました。
最初は色々な先生のレッスンを受けまくった後、自分のスタイルに合う先生が見つかり、その方のスタジオに通い詰め、ヨガについては基本の学びを終えました。少しだけ、ヨガと自分の向き合い方について考えていたある日、スタジオの掲示板にインストラクター養成コースの小さなフライヤーを見つけました。
先生にもそのコースを勧められましたが、当時の私は「私は人に教えることは日本語教師という仕事でもう充分。これ以上人に教える仕事はしない。だからインストラクターにはなりたくない。」と考えていました。しかし、今以上に自分のヨガを深めていくにはどうしたら良いかという質問に対し、
「それはインストラクター養成コースを受けてみれば分かるのでは?」と先生に言われました。
そこで、インストラクター養成コースを受けてみることにしたのです。
ヨガの目的は「伝えること」?
そのインストラクターコースの先生は、アシュタンガヨガを日本に広めた方でした。
彼の教えは、『数千年続いているヨガの智慧を変えずに後世に伝えること』を重視したものでした。
確かに先人の智慧は素晴らしいものです。たくさんの経験や理論が数千年の中で培われてきたものです。
しかし、私はその教えに、時に「どうして?」と疑問を感じることが増えていってしまいました。
指1本の向きのズレも許さず、角度も全て決まっていて、少しでも異なったポーズをすると、アシスタントインストラクターが飛んできて「そうじゃない!」と言うのです。
なぜ、少しの違いも許さないのでしょう?
「このポーズはどうして指をしっかり閉じなければならないのですか?」
「なぜ、この姿勢なのですか?」
たくさんの質問をしました。その回答はいつも、「それが先人からの教えであり、私達が伝え続けていかなくてはいけないことだからだ」という言葉で締めくくられました。
私の中に、100の疑問が膨れ上がっていきました。
One day come
もやもやとしながらもインストラクターコースを修了し、ヨガ三昧の日々を続けていた時、アシュタンガヨガの第一人者の一人であり、私がとても尊敬していたデイビッドスウェンソンさんの来日のニュースが舞い込みました。
私は、レッスンを開催することを知って、もちろん喜び勇んで申し込みをしました。
スウェンソン氏はヨガ界では超有名人です。キャンセル待ちも覚悟で申し込んだレッスンは、蓋を開けてみると参加者が7人しかおらず、奇跡的にマンツーマンに近いレッスンを受けることができました。
そこで、ダイナミックなヨガを堪能しつつも、私は抱えていた疑問のいくつかを彼にぶつけてみました。
彼は丁寧に、アメリカ的に「効率的なコツ」と共に、その疑問に的確に答えてくれました。
伝統的なヨガではコツを教えるのはご法度だと思われています。以前受けたインストラクターコースで「コツ」ではなく「理念」が回答されたのはそれが理由です。
しかし、彼は私が持っていた疑問をスッキリと腑に落ちる形で解決してくれたのです。
One day come(いつか出来る日が来る)
ヨガ界では、よく言われる言葉です。鍛錬を続けて行けばいつか理解が深まり、身体が整い、出来なかったポーズも出来るようになる、という意味です。
しかし、その鍛錬もただただポーズをトレースするのではなく、やみくもに行なうのではなく、自分にとって腑に落ちる正しい理解をしていかなくてはたどり着かないと直感しました。
100の謎を解決するために。
自分の中のヨガを深める為、100の謎を解決するには合理的に物を考える国アメリカに行くしか無い、そう思いました。
そして、その疑問をすべて解決するには1ヶ月くらい、それこそ合宿する勢いで時間を費やす必要があると感じていました。
しかし同時に、仮にも会社の社長が事業をはなれ、1ヶ月も会社を空けることは出来ない、そうも感じていました。
行きたい、でも休めない、そんなジレンマに揺れている時に、日本語学校の生徒さんに「それが先生の人生にとって大切であるならば、先生が1ヶ月くらいいなくても大丈夫。帰りを待っています。」と背中を押され、渡米を決心しました。
そして、サンフランシスコのヨガスタジオに留学しました。そのスタジオのオーナーであるラリー先生と出会い、疑問をひとつひとつ解決しながら、毎日新たな学びを深めていきました。
「筋力と柔軟性のバランスが整ってない。」「練習しすぎて筋肉が伸びきったゴムの様(オーバーストレッチ)になっている。」など、会った瞬間から個人的なアドバイスをたくさんもらい、ラリー先生を師として仰ぐようになっていきました。
1ヶ月の留学後、ラリー先生から「僕のスタジオの日本校をやらないか?」というオファーがありました。自分が大人数のクラスでヨガを教えるということに全くイメージを持っていなかった私でしたが、ラリー先生の期待に応えようと、日本でレッスンを行なう準備をはじめました。
しかし、物件を見つけるところまで進みましたが、タイミングなど様々な事情が重なり、それは実現しませんでした。
その辺りから、「自分がロミヨガを教える」という選択肢があることを意識し始めたように思います。
ロミロミとの出会い
その頃、旅先の大好きなハワイで、ハワイアンマッサージ ロミロミと出会いました。
ロミロミとは古代ハワイアンが医療として行っていた伝統的な癒しの方法、そして健康法の一つです。また、ハワイアンの家族間でも積極的に行われていた施術の方法です。
ハワイの風を感じながら受けたこのロミロミに、ヨガの考えや神道的な教えと非常に深い結びつきがあることに気が付きました。実は、子供の頃から「見えざる世界」を感じていた私に、ロミロミはその答えとなる強烈なインパクトを与えてくれ、自分もロミロミが出来るようになりたいと強く感じました。
帰国後、まず日本のロミロミスクールへ学びに行きました。本格的にトレーニングを受けるうちに、ヨガの時と同じように、また100の謎が膨らんでいきました。
日本ではロミロミは「ボディマッサージ」という位置づけが多く、ハワイで現地のセラピストから受けたものと何かが違っていると感じました。
「何が本当なのか?」「本物を知りたい」ロミロミを学んでいくうちに、ハンドテクニックだけでなく、ハワイのスピリットやハワイ哲学をベースにした本格的なロミロミを学びたいと強く思うようになりました。
これは現地でハワイアンから習うしかないと思い、2010年、その想いの強さのまま師を求め、ロミロミを学ぶために現地(ハワイ島・オアフ島)に渡りました。
そしてロミロミ界の権威であるクムカレンと出会い、『これが太古から伝わるハワイの正統の癒やしの技術』であると確信を得ることができました。
そして、今日現在まで、クムカレンに師事し、年に数回ハワイに赴き、様々なロミロミの伝統技術やハワイアンスピリッツを直接学び続けています。
2013年にクム カレンより日本人では初めてロミロミ伝授書を授かり、クムカレンの日本校としてロミロミを教え始めました。
その後、2018年、「ロミロミポオケラ」というロミロミ界最高峰の称号を授かりました。このポオケラというタイトルは、太古から受け継がれてきた歴史あるロミロミの正式継承者のみに与えられるものです。
クム カレンの数万人の教え子の中でこの称号を付与されているのは、世界で2人しかおらず、光栄なことに、私はそのうちの一人となりました。
もうひとりのポオケラの方はアメリカ在住ですので、日本で唯一の正式継承者となりました。
ヨガとロミロミの融合
ロミロミの施術をしながら、ヨガも続けるという日々が続きました。
どちらも、学びを深めれば深めるほど、深いレベルで多くの共通点があることに気がついていきました。
そんなある日、日本語学校のクライアントの女性から「ホットヨガで腰を痛めてしまった。でもヨガはやり続けたいんですよね。なんとか続けられませんか?」という相談を受けました。
ホットヨガは身体を温めて通常時より緩んだ状態でヨガのポーズを取るので、通常の可動域を超えて身体が伸びてしまい、痛めてしまうことがあると聞いています。
ヨガの経験とロミロミの経験から、彼女の身体を診ると、まさにその通りの状態となっていました。
「ヨガをやりたいんです。」
「ともこさんに教えてもらいたいんです。」
そう彼女に乞われ、小さな小さなヨガレッスンを行なったことが、私のヨガインストラクターの始まりです。
ヨガは自分の心と体と向き合い、自分のメンテナンスを行う事が出来ます。
ロミロミでは、自然の力を享受して、大きな別の次元から心身を癒していくことができます。
誰かに教わることなく、その2つは私の中で自然に融合し、『ロミヨガ』として静かに産声をあげたのです。
そうして小さなレッスンは徐々に数を増やしていき、現在はたくさんの人から求めて頂くようになり、たくさんのレッスンを開催するようになりました。
カラダの可能性は限りない!!
ロミヨガは、肉体へのアプローチだけではなく、心の襞に対して語りかけることができる癒やしの時間として、肉体だけの専門家には入り込めない領域となっています。
ロミヨガを受けることによって、今までたくさんの方に、身体の不調や、気持ちの改善に繋がったと仰っていただいています。
私自身、レッスンを受けてくださった方々の目に見える変化に、『身体の可能性は限りない!』と、とても嬉しい気持ちになります。
心が変われば、身体も変わっていきます。
身体が変わっていけば、心も変わっていきます。
ロミヨガでは、その2つのアプローチをひとつのレッスンの中で、効果的に行なっていくことができます。
ロミヨガが味わえたなら、人生をもっと楽に生きていける。
私はそう信じてロミヨガをお伝えしています。
心と身体は、自分の力でメンテナンスしていくことができます。
本来、身体の中には、自分で癒やしていく力があります。しかし、日々の生活のなかでストレスや身体的な負荷が掛かると、その力が小さくなってしまいます。
私たち、レイアロハロミヨガでは、その縮こまってしまった本来の癒やしの力を身体と心の両方からアプローチし、本来の姿に戻し、より人生を楽しみながら過ごしていけるよう、お手伝いさせていただいています。
あなたのご参加を心よりお待ちしております。