見えない悩みに耳を澄ませた 6【ロミロミ体験記vol.31】
アロハ、ワイレレです🌈
昔、ロミロミをしてもらった時に、「ピンクのちょうちょが飛んでいったわ」と言われた事があります。
実際に飛んでいたのではなくて、セラピストがメッセージとして受け取って「飛んでいる」と教えてくれたのですが、そのちょうちょには、まるで幼虫がちょうちょに変わるように、「トランスフォーム、次に向かって変わる」という意味のメッセージがあるそうです。
自分の苦手なこと、ずっと嫌で避けてきたことを「やってやろう!」と腹をくくってやってみるのは、自分で作った固い殻をグワッと開きにいっているような感覚があります。
嫌で嫌でたまらないものを考える度に、ギュッと固く握りしめていたその手のひらを、人差し指から順番に一本ずつほどいていく。
無視したり、首をそっぽに向けて見ないようにしてきたものを目の前に置いて、少しずつ目を開けて見つめてみる。
改めて自分で確認して、試してみて、「あれ?意外にどうってことないな」って感じられたとしたら、苦手で嫌いなものに羽根が生えて飛んでいく。
次のステージへの新たな一歩が、そんなとこからも始まるような気がします。
学校の先生という生き物に、異常なほどの嫌悪感を持っていた。
小さい頃から先生というだけで無条件に偉いと思い込んでいたせいで、現実とのギャップを感じる体験をいくつもしてきたからだろう。
学校を卒業してから数十年たっても、この生き物に出会うと笑顔がひきつって、
その人を遠巻きに上から下までじろじろ見て、漂ってくる学校の先生臭を察知するやいなや、鼻をつまんで一言で片付けていた。
「偉そうに。だから先生って嫌い」
どんな人でも、学校の先生だというだけで、この言葉で片付ける癖がついていた。
この先生嫌いが原因なのかは分からないけれど、自分が何かを人に教える、ということに、これまた異常なくらい反発してしまう。
もし何かを教えたら、自分が一番嫌悪している”学校の先生”になってしまうと無意識で思っているんだろうか?
自分が人に何かを教えるなんて、とんでもないことだと頑なに思っていたし、自分の人生には全く関係ない事だと信じて疑わなかった。
それなのに…
何を血迷ったか…
セルフロミロミの講座を開いてみようと思った。
それだから、なのかもしれない。
自分のロミロミの集客のアイデアの一つとして、以前思いついた案だったけれど、教えるのが嫌だし、とんでもなく緊張しぃだからやりたくないと思って、自分の蔵にしまい込んでいた。
でも、自分がすんなり出来る事で今の苦しさの原因に辿り着けないのであれば、自分のやってこなかった苦手なもの、嫌いなものをやれば、何か見えてくるものがあるかもしれない。
昔、単純に疑問に思ってオハナに聞いたことがある。
「何でそんなに辛そうなのに、気付きたい、変わりたいと思うの?そんなに辛いなら、やめてもいいはずなのに」
「うーん… でもさ、自分だってそうじゃん?」
私もそう?
その時は全然ピンと来なかったけれど、これがその答えだ。
やめればいいのに、やめたくない。今はその気持ちが良く分かる。だって、どうしてもやりたいことがある。
ロミロミを、やりたい。
このままだと、ロミロミを続けるのはもう無理だろうと感じていた。ロミロミをやっていても、何かが全力で自分を引っ張っているのが分かる。その引っ張る力は、馬鹿みたいに強くて到底抗えそうにない。
諦める前に思いついた事をやってみようと思った。
思いつきが大分無謀なのは分かっているけれど、他に何も思いつかない。
仕方ない…。
駄目で元々。
「人生で一度、必死で何かをやってみる」をやることにした。
自分の上に垂れていた糸。
それを両手でしっかり掴んで、力一杯、油まみれの体を持ち上げ始めた。
緊張すると、涙が出てくる。
人前で何か話をしようとすると、悲しくもないのに涙が流れてくる。
自分でも何でこんなに毎回必ず泣くのかわからない。恥ずかしいからやめたいのに、止められない。
緊張で泣くというのは、小さい子供にはよくある事らしい。
自分が子どもの頃、それで泣いていたかは覚えていないけれど、大人になったからってそう簡単に治るもんじゃないみたいだ。
でも、周りの大人でこんな人見たことがない。何故自分だけこんな現象がおきるんだろう…。
人の注意が自分に向くと、圧を感じる。その圧にもの凄く緊張してしまって、その緊張を緩和するために勝手に体が涙を流すんだろうか。
人の圧に耐えられなくて、そこから受けるストレスを抱えきれなくて、涙で発散するしかないというのは理由の一つかもしれない。
もう一つ、心当たりがある。
涙を流している時、心の中では自分の中でもうすっかり定番になっているBGMみたいなものが流れてくる。
題して、『自分みたいなしょうもない人間の話を聞かせてしまって、本当にすみません』。
…なんて陰気なヒット曲作っちゃったんだか。
このBGMが、心の中でひたすら繰り返し流れている。
こんな風に自分で蔑んだ自分に、自分の魂が悲しいと感じて涙を流してくるんだろうか。
先生嫌いもさることながら、緊張の涙を抑えられないくせに、セルフロミロミ講座を開く事にした。
人前で話すことも、人に何かを教えることも苦手だけど、いつまでも嫌だ嫌だって言っていても前に進めないと、腹をくくった。
1週間ほど練習をした頃、出来具合をクムとその場にいたアラカイに見てもらった。
練習してきたところまでやってみる。
泣くのはもう分かっていた。それでも、できなくて当たり前なんだからと、緊張しないように自分を鼓舞して、泣かないように気合いを入れる。
いざ、みんなを目の前にしてやりだしたら、例の『自分みたいなしょうもない人間の話を聞かせてしまって、本当にすみません』が大音量で流れてきた。
『だ、駄目だ』
BGMと、緊張の波にのまれて涙が流れてくる。そんな姿を見て、「そんなにやるの嫌なの?」と聞かれてしまう始末。
そうじゃない!
そんなに嫌なら、自分からやるって言わない。嫌なのは、緊張で涙を流してしまう今の自分だ。
涙を流す自分は弱い。弱いから、これはもうどうしようもないんだろうか?
家に帰ってから、今度は悔しさが込み上げてきて、悔し涙が流れてきた。…まったく、忙しい。
それから、心の中で大反省会が開催される。自分を責める議題は後から後から湧いてくる。
自分のできなさ、無能さを責めたてる。
すぐ泣く心の弱さに失望する。
人前でおじけずく自分、その不甲斐なさに落ち込む。
この類の反省会は、暇さえあれば開催されて、弱い自分を繰り返し責め続けて、終わりがない。
それでも、糸を両手でしっかり掴んで離すまいとしがみつく。
どんだけダメでも、どんだけ何もできなくても、そんなの初めから分かっていたことだ。
I’m guided! (=私は導かれている!)
登ると決めた糸を離すときは、今じゃない。