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見えない悩みに耳を澄ませた 4【ロミロミ体験記vol.29】

アロハ、ワイレレです🌈

今思えば、学校では少しも教えてもらった覚えがないのに、
大人になってから突然、”とても大切なんだよ!”と周りが騒ぎだして、”そんなに大切なら、しまっておかないと!”と焦って、知ったかぶりして、巾着の中にしまっておいたものがあります。

自分を見つめる、ということ。

知ったかぶってやっていたら、あたかも全部分かって、完璧にやっているかのような、そんな感覚になっていました。
勘違いしたまま自分を見つめて、ひたすら集めてきた自分の切れ端は、情けないもんばっかりだったみたいです。


思い当たる事。

それは人の意に沿えない事や、何となく言いにくい事を言いだせない事。

この習性が自分にあるのが、ずっと前から気になっていた。人と意見が違ったり、言うと失礼になるかもしれないと思うと、それを言えずに我慢する。

今回のジャーニーでの出来事も、自分が何を感じて、どうしてこうなったのかを話すのだって、気後れして言わないでおこうと何度も思ったくらいだ。

京都スピリチュアルジャーニーの内容は素晴らしいし、参加者がみな口を揃えて”行って本当に良かった”と言うくらいの、他にない癒しの旅だ。そんな旅で、こんな暗い事を考えていたなんて、大分と失礼だ。

そう思って気を使って我慢した分、自分がすり減っていっているんだろうか?

クムにこの話をしたら、

「それは問題の根本じゃないと思うよ。根本にあるものを直したら、それも直ると思う」

そう言われて、困ってしまった。
他に原因がある?? この習性の根本にあるものって、何だ?

人に気を使うのは、人の目が気になるからだ。人から自分がどう思われているか、常に気になってしょうがない。嫌われたくない一心で、お願いを断れなかったり、自分の言いたい事を言えなかったりするし、人の顔色を常に伺っている。

何で、そんな風にしないといけなくなったんだろう。

話が進むうちに、クムがこう質問してくれた。

「自分の事、どうやって見つめてる?」
「・・・?」



どうやって?
そんな事、考えた事もなかった。
自分はいつもどうやって自分を見つめているんだろう?みんなと一緒じゃないのかな?


心の中に、「自分」と書いてある小さい箱がある。


自分を見つめるときには、まずこの箱の中身を確認する。箱の中には沢山の小さなメモ紙が入っていて、その1枚1枚に今まで集めてきた「自分」が書いてある。

「人の為にできる事が何もない、役立たず」
「自分の意見なんて言う価値がない」
「空気が読める」
「自己評価が低い」
「みんなと仲良くできない」….

他にも沢山あるけれど、この箱に入っている自分は否定的な事が多い。だからいつも自分に自信が持てない。

それらを黙って眺めて、「はぁ~」と小さくため息をついて、メモ紙を全て箱の中にしまう。

自分を見つめるのが大事だってみんな口々に言うけれど、情けない自分を見つめるしかない自分は、人より少し辛い事が多いような気がする。

こんな時は、部屋の掃除をする。掃除をしていると部屋も綺麗になるだけじゃなくて、同じように心の中が整理されるって聞いたことがある。

そんな風に、何のとりえもない自分のくしゃくしゃな心の中も整理されるんだろうか。


いつもどうやって自分を見つめているかを考えていた。
「自分」の箱に入っている沢山のメモ紙を見て、どうやって集めてきたかを考える。

そういえば、いつも相手がいて、その人の反応を見て自分を認識していた気がする。

どのメモ紙を思い出しても、人を介して映った自分を書いていた。
どうやってって、この事かな、と思ってクムに話す。

「鏡みたいに、自分を人に当てて、はね返ってきたやつを自分だと思って見ています」
「え?自分を見つめるって、人に当てたりせずに、自分の事を直接見たらいいんだよ?こうやってさ、直接みたらすぐ見れるでしょう?」

そう言って、着ていた服を引っ張って、下を向いて服の中を覗き込む仕草をした。

「へ?」
「自分を見るのが怖いって思って見ない人がいるけど、直接見てみなよ、そんな怖いの入ってないから!それに、人を介して自分を見ると、その人の思いや考え、色々なものが乗っかってくるから、歪んだ自分が帰ってくるんだよ」

自分のことを相手に当てて見ると、必ずその人の思いがそこに乗っかってくる。相手の感情の乗っかった自分は、本来の自分ではないから、当然歪む。

これをずっと繰り返していたから、いつの間にか自分を素直に出せなくなってしまっていた?

目からウロコ。自分を直接見るなんて発想、したことがなかった!

「みんな、直接自分を見ていたんですか?それって、どこで習ったの?早く教えて欲しかったです…」
「そういうのと同じような事が、時々あるんだよ。誰も教えてくれなかったって、みんな言うの。でも実際こういう話はなかなかしないから、みんながどうしてるかなんて分からないよね。それに、人に当てて自分を見ると、自分をむき出しにして受け取らないといけないから、辛いんだよ」

いつの間にか、自分が下す評価は、人の評価よりも劣ると信じていた。

人より劣っている自分が、自分のことを見ても、その結果を信じることができない。人様の反応を見た方が、ずっと信頼できる。そう思って、人に当てて自分を見るようになった。

人に当てた自分を真剣に受け取ろうとすると、自分の柔らかいところをむき出しにして受け取らないといけない。たしかに、他人の何気ない言葉に深い傷を負う事もあった。

こんな事、もうしなくていいんだ。

むき出し…そういえば以前、友達に自分の今までの経験話をざっくりしたら、その子が一通り聞いた後に同じような事言われたな。

「なおこさんは、心がむき出しのまま世界と接しているからしんどいんですね。車の車輪が心そのもので、柔らかいところでアスファルトでもどこでもそのまま進んでいくみたいな感じがします…」

この時は、”えー、そうかなぁ?これって普通じゃないの?” としか思わなかったけど、こういう事だったんだ。

自分の箱にしまってある自分は、全部他人の端切れを含んだ歪んだ自分だったってことか…。

自分の見つめ方を、変えよう。
これで、自分の意見を言えない事もなくなって、気が痩せることもなくなって、そして今の苦しさから抜けられるんだろうか。

油まみれになりながら、自分はいつまでこの油の海に浮いているんだろうと、ふと思った。
自分のすぐ上に垂れている糸を見上げた。


次回、自分を直接見ることで、見えてきたものは・・・?

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